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DRUM'N'BASS/BREAKSのフリーペイパーDIRECTの編集部
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その男、休業につき

[DRUM'N'BASS:ドラムンベース]

その男、休業につき_b0051108_2050523.jpg

ここ日本でジャングル/ドラム&ベースが始まってから10年と少し。
シーンと呼べるような強固なミュージックカルチャーが、ここ日本で確立できてきいるのかどうかはわかりませんが、「ことの起こり」に大きく関わった1人のジャングリストが今年いっぱいでDJを一時休業することになりました。

UKレーベルEMOTIFからのリリースによって、日本人で初めて海外デビューを果たした男。MAKOTOが世界にはばたくきっかけとなったレーベルZERO THREE/03を主宰してきた男。誰よりも日本人オリジナルのジャングル/ドラム&ベースにこだわり続けてきた男。

その男こそ、''THE オリジナル・ジャングリスト'' DAZZLE-T。

そこでDirect Webでは、これまでの活動に敬意を表するとともに、今後の活躍を祈るために、DAZZLE-Tインタビューを試みました。すべてのジャングリスト必読!!!

(Interviewed by Dx)



●まずは、ダズさんのジャングルとの出会いを教えてください。

実際体感したのは1994年。 ロンドン郊外のテレビ局かなんかが使ってるばかでかいスタジオでやってたジャングル・レイヴ『JUNGLE SPLASH』。
アゲハのメインフロアぐらいのデカイフロアが1つ、あとは中学の体育館ぐらいのフロアが2つ。フロアの他にもやたらどでかい溜まり場があって、外にも溜まれて。そこに1万人以上の人たちが遊びに来てて。全部ジャングルで、サウンドシステム入れて、すげえイイ音してた。
それまで、ミックス・カセットとかレコードとかではジャングルの存在を知ってたけど、今イチ体がついていかなくて。頭の中では興味が渦巻いていたんだけど。でもそのレイヴのサウンドシステムを体感してヤラレタ。
なるほどなと。あのベースラインはそういう意味かと。こりゃぁ、イギリスのストリート・ミュージックだなと。アメリカのヒップホップへのイギリスからのアンサーみたいな感じがした。
IBIZAとSOURが主催してて、出演はUK APACHE&SHY FX, KENNY KEN, HYPE, FROST, RANDALL, BROCKIE, RAY KEITH, NICKY BLACKMARKET, RAP, NUT NUT, MC DET, FIVE O, MOOSE, GQ, NAVIGATORとか当時の蒼々たるメンツ。今思い出してもあの衝撃は忘れないよ。   

●その出会いの後にダズさん自身の活動が始まるわけですが、当時の、国内の創成期ともいえるシーンのことを読者にあらためて紹介してください。
  
『JUNGLE SPLASH』を体感した後もしばらくはまだ日本ではメディアとかで取り上げられる前で、レコードなんかの入手もたいへんだった。今みたいにインターネットで買えるわけじゃないし。
当時新宿のシスコにオオコソさんっていうレゲエ担当のバイヤーがいて、その人がジャングル好きで、話盛り上がって、オオコソさんに頼んでジャングル/ドラム&ベースを仕入れてもらったりしてて。あとは渋谷のリバプール・レコードかな。あそこの店長ハードコア好きでREINFORCEDの初期とかのストックあったりとか。
あと情報収集は、『JUNGLE SPLASH』で知り合った神波さんとか、オオコソさんの紹介で知り合ったサウンドシステムSEREZAの桜井さんとか、ジャイルス経由で情報とか音源を仕入れてたUFOのラファエルとか。
皿もある程度揃うとジャングルのイベントでDJやりたくなって。でもイイ音鳴ってないとダメだなと思って。当時はGOLDかなと。それでGOLDの高橋透さんに相談に行って。そしたらOKしてくれて。『JUNGLE VIBEZ』っていうイベントで、初めはテクノのイベントのサブフロアでやらせてもらってたんだけど、95年の1月に念願のメインフロアやらせてもらって。たしか木曜日だったと思うんだけど、150人くらい人集まって。まあ、GOLD広かったから150人程度だと少ないんだけど。
その時DJお願いしたのは、たしかUFOのラファエル、元ミュートビートのダブさん、朝本さん、SELEZAの桜井さん、あと工藤さん、そして神波さんだったと思う。
その後、神波さんが95年の3月頃YELLOWでM-BEAT招聘したり、『BOOYAKA』っていうジャングルパーティー開催して、俺もDJやらせてもらったりして。その頃はCHARI CHARIも『BOOYAKA』でジャングル回してた。雑誌なんかもこの頃ジャングルを取り上げるようになって。でも運悪く、小室哲也と浜ちゃんの歌謡ジャングルの出現で変なイメージついちゃって。ジャングル回してるっていうと変な目で見られたりとか。クラブで敬遠されたりとか。いろいろ障害も多かった。
その後、神波さんが『BOOYAKA』でKENNY KENとMC GQ招聘して。でもまだお客は少なかったんだけど、着実に日本での核ができはじめてて。その後FORCE君が王子の<3D>で定期的にEVILなんかとドラム&ベースのパーティーをやってた。その後は、レコードの入荷もDJもどんどん増えてきた。
日本でも爆発してきたって思ったのは、神波さんがYELLOWでBUKEM招聘した時だった。たしか96年の1月頃だっけ。remix主宰のイベント。YELLOW満杯で酸欠寸前。もちろんMAKOTOもそこにいた。      

●それでは、これまでのジャングル/ドラム&ベースライフの中での思い出やエピソードを教えてください。

いろいろありすぎるんだけど。自分にとっては、1997年2月のUKリリースかな。 95年からジャングル/ドラム&ベースのトラック作り始めたんだけど、とにかく苦労した。
やっぱ特殊な音だし。向こうで認められるトラック作ってた人はまだ日本でいなかったし。あっちのレコード聴いて耳で推測し研究しながら作るしかなかった。自分の耳が頼りってやつ。
まずはドラム。なんでこんなにエッジ立ってるんだよって。そこから始まった。いろんなジャンルからドラムの音チョイスして、サンプラーに入れて、ストレッチして。でも質感違うなあとか。
特に研究したのは、DOC SCOTTのトラック。いろいろドラムの音探してたら偶然同じ音になって、DOC SCOTTのドラム音源発見!なんて、えらくうれしかったりして。それから、コンプのかけ具合にはまって。でも一番時間かかったのはベースだった。
ある程度完成したらロンドンにデモ送った。SOURとかMOVING SHADOWとか。初めてリアクションあったのは、SOURで「TEARS」(97年秋リリース)っていう曲の原形でもある「TEARS OF EARTH」っていう曲。ピグミー族の泣きの声を入れて、地球を汚すな!環境を守れ!っていう曲。「メロディラインはとてもイイけど、構成がよくないから作り直せ。」って言われて。でも作り直すんだったら新しいトラック作りたくなって、それで作ったのが「BIOHAZARD」って曲。
この頃ダークでサイバーなのが出始めて、SOURもEMOTIFっていうダーク&サイバーな、めちゃプログレなレーベルやりはじめて。DJ TRACE, NICO, ED RUSH, GROOVERIDER, DOC SCOTTなんかが参加してて。それで俺も作ってみたくて。いろいろ音の実験して、オリジナル・バースト・ベース作って。
それで96年の夏、SOURのボスDAVE STONEに聴かせたら、即契約になって。めちゃくちゃうれしかったなあ。ほとんど金にはならなかったけど、それに勝るもの得たって感じ。UKのDJリアクションシートの評価も一番良かったみたいで、「DANGER U-E-D」っていうコンピの1曲目に収録されたんだ。
当時、ED RUSHの師匠でもあるNO-U-TURNのNICOのスタジオに行ってこの曲聴かせたら、唸ってたのを今でもよく覚えてる。      

●出会いから10年以上たったわけですが、ダズさんにとってあらためて思うジャングル/ドラム&ベースの魅力とは何ですか。   

今はすっかりフォーマットができて定着し、世界中に広がり、アンダーグラウンドっていうよりは、オーバーグラウンドな感じがするけど、根源はヒップホップと同じくストリート・ミュージックだよね。いろんな歴史があって、いろんなもの背負って世に生まれたっていう。
だからスピリッツがある。そこんところは、大事なとこだと思う。忘れちゃいけないよね。ジャングルとかドラム&ベースっていう枠組みから自分が離れてもさ、俺は忘れないよ。
たとえば死ぬ前にさ、出会ってよかった!と心から思える。今もKEMI*の笑顔思い出すしさ。根がしっかりしているものは、永久に不滅だよね。   

* = KEMISTRY&STORMとして活躍していた女性DJユニットのKEMISTRY
1999年、交通事故によって死去。

●現在、そして今後の国内シーンに対して何か思うことやアドバイスはありますか。   

枠組みから離れる身なので、あまり語りたくはないけど、昔みたいに日本のコンピとかまた出したほうがいいんじゃないのかなあ。トラック作る人の層も厚くなってるし、いいMCも増えてるし。フィーチャリングしてさ。MADE IN JAPANみたいなの。
ここは日本なんだからさあ。後追いするんじゃなくて、もっと日本なりに 独自の解釈でぶち壊してもいいんじゃないかと思う。     

●もしよければ、今回DJを休業することになった理由やきっかけも、教えてください。

おまえ何言ってんだよおって笑われちゃうかもしれないけど、3年ぐらい前からさあ、環境問題とか今後生まれてくる子供の将来とか、世界はどうなる、地球はどうなるとか考えはじめちゃって。ボランティアとかにも興味持っちゃって、高齢者の施設とか養護学校とかに演奏家連れてまわったりとか考えるようになっちゃって。今までは自分中心のこと考えて好き勝手に生きてきたんだけど、なんか社会のためになる生き方したくなって。自分でも不思議なんだけど。
とはいえ、ボランティアとかって、それで飯食えるわけじゃないし、生活もある程度余裕ないとね。で、いろいろ突っ込んで独学で勉強したんだ。社会福祉にはじまり、京都議定書含む環境問題、平和と国防、世界の宗教の歴史、経済事情、そして法規制、最終的にぶちあたったのが政治ってやつ。法治国家の中で、ある程度大きな流れを作ろうとすると大かれ少なかれ政治力が必要になってくる。これに逆らってやれることもたくさんあると思うけど、俺が今後携わっていきたいこととかって、法規制とか政治力を無視してできないわけで。
そんなことを考えてみると、DJやりはじめた頃よく考えていた日本の広範囲で聴けるFMラジオ局の設立だって、厳しい法規制があるから勝手に作れないわけで。風営法っていう縛りがあるから、クラブ営業とかたいへんだし、俺ら遊んでたころはIDチェックそんなに厳しくないから遊べたけど、今東京じゃあ10代の子、遊びに行けないでしょ。ID偽造しないと。可哀想だと思うよ。マスにはのらない未知の音楽にふれる機会を遮断されているようなもんだから。何でも縛りゃいいってもんじゃないと思うし。
あと音楽作ると著作権だとか隣接権だとか発生するわけだけど、それを仕切っているところが官僚の天下り先で利権の渦だったり、ちゃんとこっちには分配されてなかったり。日本の良き音楽を世界に紹介する非営利団体がなかったり。
いろいろ突っこんでいくと、どうなってるんだよ!ってことばかりで。でも、誰か変えてくれるさって待ってても変わらないと思うし、それだったら、どこまでできるかわからないけど、俺が少しでも変えることができたらっていう思いが強くなって、それでDJを完全に休業することになった。半端なことしたくないし。といっても既に2年ぐらい
前からある程度そっちのほうでやってきたいと考えていたからDJ活動からは だんだん離れていって、KAJIが主宰している『MO'FIRE』しかDJやってなかったんだけど。
でまあ、ひょんな縁から来年東京を離れて新たな人生のスタートきることになった。ほんとどうなるかわからないから、具体的に何やるかここでは言えないけど、自分の余生、それに賭けてみると決意した。      

●それでは、最後のDJを行う場として選んだパーティー『DESTROY』を紹介してください。       

選んだわけではなくて、必然的にそうなった。DJをやるっていうよりは、今回主宰側にたってオーガナイズしている。簡単に言うと、RUMIのサナギ・レコーディングスとKAJIの『MO'FIRE』のコラボレーション。
それで俺がその橋掛けとケツ持ちやってる。3つのフロアでライブありDJありMCあり、出店もあり。ジャンルとか言葉のくくりをぶち壊した祭り。MADE IN JAPAN!   

12.9 Fri 23:00〜
Sanagi Recordings&MO'FIRE presents 『DESTROY』 at 六本木mazel

LIVE Floor---produced by Sanagi Recordings
・RUMI ・MSC ・DYSTOPIAN DANCE ・NUMB×SAIDRUM×TakuyaNakamura ・asa ・SKE ・Kenji Kuno a.k.a TSURUGI ・Rie Lambdoll ・C.I.A ・TETS ・KEMUI

DANCE Floor---produced by MO'FIRE
・DJ DAZZLE-T ・KAJI PEACE ・RYO141 ・TYPE-D ・TASK
・MC BIG ZAI ・D2 ・CARDZ

CHILLOUT Floor---produced by Future daze
・I-tal ・HRSK ・sky-fish ・KANATA ・vnk ・JSD

Charge : Door3000yen/1d 2500yen/1dwith flyer.

Info : http://homepage.mac.com/arairumi/

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最後になりますが、個人的には新世紀を目前に控えた1999年12月31日に国内初のドラム&ベースカウントダウンパーティーをDAZZLE-Tと共同オーガナイズしたこと、そして大成功に終えたことが一番の思い出です。いや、一生の思い出と言ってもいいでしょう。
初めての試みだったからやることの意義は十分感じながらも、他にも強力なカウントダウンパーティーたくさんあるのに、お客さん来てくれるかなあって、あの時は本当に最後の最後までドキドキヒヤヒヤでしたね、ダズさん。

とりあえず、“一時”お疲れさまでした。
by direct_web | 2005-11-26 20:46 | Domestic
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